【僕だけがいない街】心に来る名言&名セリフランキング15

僕だけがいない街の名言・名セリフをランキング形式で紹介します!

15位 5巻 八代

八代

名言:「善行も悪行も本質は同じ、人が自らの欠陥を補う為の行いに過ぎない」

非常に的を射ている名セリフです。

人の善行や悪行をどう捉えるのかは人次第ですが、この考え方も否定することはできません。

自分の賭けている部分を補うための行動であるからこそ、本質は似ている。

そんな考えを持っている八代だからこそ、一連の事件を引き起こしてしまいました。そうすると、非常に危うい思想だともいえるでしょう。

 

14位 5巻 八代

名言:「悟がとった勇気ある行動の結末が 「悲劇」でいいハズがないだろう?

一連の事件の犯人である八代の台詞であり、最大級の皮肉にも感じられる台詞ですが、しかしこの段階でのこの言葉はとても大きな支えになるものだといえるでしょう。

勇気ある行動の結末は悲劇であってはならない、そう考え励まされる人がいたころもまた事実です。

健全な教育者としてこの台詞を投げかける八代がいる、そんなもしかしてを考えさせる名言ともいえます。

 

13位 4巻 ケンヤ

ケンヤ

名言:「お前が誰か人を傷つけるような事を考えた時は 俺が止めるって 決めたんだ

「正義の味方」は結果が出たからなれるってモンじゃない、とケンヤは言います。追い詰められた悟は、手段を選ばずに加代を助け出そうと暴走してしまいました。それを止めにきたケンヤの名言です。

 結果が良かったとしても、その過程も大切にしなければ正義の味方にはなれない。傷つけずに何かを成し遂げることは難しいことですが、しかしそれをするからこそ正義のヒーローというのでしょうね。

 

12位 8巻 悟

悟

名言:「答えはもの凄くシンプルだ 僕の主治医が言ってた 人の意志の力は 医学をも超えるらしいよ

悟の主治医である北村は、分析した予測や計画を台無しにするやっかいなものとして「人の意思」を挙げました。

大丈夫というのならきっと大丈夫、そんな根拠のないことをハッキリと言えてしまうほどに、人の意思の力はすごいのだとこの言葉は伝えています。

実際に、悟はリバイバルの後、意識不明の状態から奇跡的な回復をみせました。

そんな医学をも超える人の意志の力は、信じなければそれまでです。実際に信じることで、きっと心のゆとりも出てくることでしょう。

 

11位 2巻 悟

名言:「俺にもこんな瞬間があったんだ 忘れていた? いや…気づかなかったんだ 何気なく過ごしていた 何気なく流れていった」

楽しい時間というものは早く過ぎていきます。また、そのときはそうだと気づかなくても、過ぎ去ってから大切だったのだと気付く時間も、多く存在しています。

そのことを改めて気づかせてくれる名言です。

何気なく過ごし、何気なく流れていった日常。悟はリバイバルによって過去へと時間を遡り、小学生をもう一度体験しました。

その小学生という限られた期間は、大人の視点でみてみればかけがえの無いものばかりです。

今過ごしているこの一瞬も、いつか大切なものとなる。そんな考えを持って生きていきたいですね。

 

10位 7巻 佐知子

佐知子

名言:「「もっとやれたハズ」っていう言葉は 「もっとやれるハズ」に換えて未来の自分に言いな

後悔は言い訳であるという悟の考えに対する、一つのアンサーともなっている名言。

これもやはり、自分をしっかりと持っている佐知子からのものです。

こうしていれば出来た、もっとやれたとう言葉は、言い訳ともとれます。

しかしそれを未来へと置き換え、未来の自分に言うことで、ただの言い訳でも後悔でもなく、教訓へと変わっていくのです。

もっとやれる、というポジティブな考えは人を動かします。自分が後悔で動けなくなってしまいそうなときには、この台詞を思い出したいです。

 

9位 6巻 八代

名言:「なんぼ強い奴でも きっと苦しい事はいっぱいある そんな時 「負けない気持ち」が 勇気だべさ

勇気という言葉は、作中での一つのキーワードとなっています。そんなキーワードを織り交ぜた、八代の幼少期の台詞がこれです。

時間軸としては一番古く、この勇気がのちに人から人へと伝わっていき、最終的に主人公たちを励ます台詞となっていきます。

八代は全ての元凶ともいえる存在ですが、悟やその他を支えた台詞すらもここから始まったと考えると、随分と皮肉ですね。

しかしながら、負けない気持ちが勇気であるという考えは、至極真っ直ぐなものだといえます。歪まなければ、八代はいい教師となっていたかもしれません。

 

8位 4巻 悟

名言:「途中で投げ出さなかったら こうなった

これも、佐知子の教育が悟に届いていることがよくわかる名シーンです。

途中で投げ出すな、と母から教えられ、自分でも考えた結果、悟は加代へと救いの手を差し伸べました。

その手を離すことなく、自宅へと連れ帰った悟はきっと母の目には立派に見えたことでしょう。

そうやって胸を張れるような生き方を、日常でも心がけていきたいです。

 

7位 2巻 佐知子

名言:「子供が何事かにやる気を見せてるんだからさ こっちが手伝ってあげようよ 親なんだから

佐知子は自分なりの信念を強く持っているキャラクターです。それは作中の中でもしっかりとし描かれており、その考え方を表している名言の一つがこれです。

子どもが何かにやる気を見せているとき、助けてあげるのが親。そんな信念は後半でもしっかりと貫かれており、無事に意識を取り戻した悟が危険な賭けに臨むときにも、彼女は背中を押すことを選びました。

危険な目にあうかもしれない、それでも正しい方向へ進むべくやる気を見せている子どものことを、手伝うのが親である。その教育方針の元で悟が育ったのですから、その正しさがよくわかりますね。

 

6位 3巻 悟

名言:「未来は常に白紙だ 自分の意志だけが そこに足跡を刻める

人の後に道ができるという言葉もあるように、人は自分の歩いてきた道を、その足跡として刻んでいくことができます。

これは「必然の積み重ねが運命」だといった考えにも通じるものであり、つまり、自分の選んだ行動こそが運命となり、道となっていくのだと示しています。

未来は常に白紙であり、そこに自分の足跡を刻んでいく。そう考えれば、不安な明日も乗り越えられるような気がしてきます。

 

5位 3巻 澤田

澤田

名言:「僕は「必然の積み重ね」が「運命」だと思ってる 僕の運命は僕のものだ

これもまた後に使われた言葉です。6巻での悟などがそうで、互いに影響し合っていることがよくわかりますね。

運命は必然の積み重ねである。つまり、自分の行動によって引き起こされる必然こそが運命を作っているというのです。

そうした自分の行動こそが運命だというのならば、運命とは自分自身のものだと言い換えても問題はありません。どこか勇気づけられる名言です。

 

4位 1巻 悟

名言:「日々心によぎる「あの時こうしていれば」という言葉 後悔の言葉なんかじゃない 「こうしていれば出来たはず」という 自分の心が真に折れるのを防ぐ言い訳だ

あの時こうしていればよかった、という言葉はよく耳にします。それは後悔のことばであり、こうしておけば良かったなという妄想の始まりでもあるでしょう。

しかし、その多くは言い訳だと悟は断じました。

屁理屈のようにも感じられますが、しかし的を射ているともいえます。こうすれば良かった、という言葉の裏には、必ずこうしていれば出来たのだ、という自負のようなものが存在しています。

その根拠があるかないかは別として、そうした言い訳をしている間は前には進めません。

そう考えてみると、後悔先に立たずという言葉は、とても合理的なもののように感じますね。

 

 

3位 3巻 佐知子

名言:「自分に出来る事なんて限られてるっしょ 後から「自分のせい」なんて思うのは 思い上がりってモンだべさ

この言葉も、後に何度も出て来る言葉です。そして、読み手にぐっと迫る名言でもあります。

自分のせいだと責めてしまう場面は、日常生活の中でもいくつかあるでしょう。しかし、悟の母である佐知子はそれを否定しました。

自分に出来ることは限られており、それを何とかできると考えるのは思い上がりである一見すると厳しい指摘のように思われますが、しかしそれは裏を返せば、「自分のせいだと責任を背負い込まなくてもいい」という優しい心遣いです。

自分のせいだと思い悩んでいる人には、是非この言葉を贈ってあげましょう。

 

2位 1巻 加代

加代

名言:「…うん あたしも 演じてるうちに 「本当」になる気がするよ

1位と同じ意味の言葉を、愛梨ではなく加代の口から聞くシーン。

この言葉を聞いた主人公の悟も、愛梨から聞いたときのデジャヴを思い出しています。

確かに意味としては同じ言葉ですが、加代が言うと、また考え方が違ってくるのが面白い点です。

声に出すだけではなく、実際に演じる。

そうすることで本当になるといった彼女は、親からの虐待を受けていました。そうするとこの言葉は、ある意味での彼女の処世術を示しているともいえますね。

 

1位 1巻 愛梨

愛梨

名言:「…「言葉」ってさ 口に出して言ってるうちに 本当になる気がする

僕だけがいない街に出てくる台詞は、何度も何度も使われるものが多いです。

そしてそれは、登場人物たちが互いに影響しあい、まるで本当にそこに生きているかのように感じさせる一つの演出としての、大きな要因となっていると言えます。

その一番と言えるのがこの台詞で、この台詞は形を変えて何度も作中で登場します。

言葉を口にだすことで本当になる、というのは一種の自己暗示のようなものですが、それでも実際にそうして励まされた人は多いのではないでしょうか。

そんな親しみやすさも、この名言には含まれていると言えるでしょう。